プロメテウス


プロメテウス

■あらすじ
2089年、ショウ博士らは世界各地に点在する遺跡から、人類の祖先は宇宙から来たと仮説を立てる。
研究を重ねた結果、彼らが住むと思われる惑星を突き止めた博士らは、ウェイランド社の支援の元探索に向かう。
その惑星で見たものは、たったひとり残された人類の祖、そして異形の生物だった…

■感想
周りの感想を見ると中々に酷評が多い。

「エイリアン」シリーズのうち評価が高いのは、密室ホラーの傑作「エイリアン」、そしてアクションホラーの傑作「エイリアン2」。
二大傑作のうちの一つ「エイリアン」の監督であるリドリー・スコットが「エイリアン」の前日譚として作られたのが本作。

相当期待されていたのだが、蓋を開けてみれば人類やエイリアンの起源探索であり、難解な宗教的哲学的解釈もある。
映画「リング」の貞子にしろ「13日の金曜日」のジェイソンにせよ、ホラー映画はネタに詰まるとやたら起源探しが始まる。
そしてそれが傑作で終わったためしがない。
リドリー・スコットともあろうものがそのような初歩的な罠にはまろうとは…と思うのだが、これは仕方のない事であろう。

「エイリアン」シリーズは1と2が傑作すぎ、完成され過ぎた。
これらが提示したホラームービーの方程式は今でも通じる完成された定理であり、よってこれらを超えることは不可能なのだ。
だから3と4はそれぞれ個性的な監督を配することにより、監督の個性で差別化しようとした。
その試みは今では失敗と見えてしまうかもしれないが、偉大な先達をわずかでも超えようとするのならそうするしかなかったのだ。

プロメテウスも同じことが言える。
リドリー・スコット自身が屹立した巨大な壁。
これを乗り越えるためには、「1」「2」を焼き直すのでなく、「ブレードランナー」で見せたような難解な解釈で色付けするしかなかったのだ。

本作品は娯楽作品として見れば落第点であろう。
エイリアンの造形はまだプロトタイプのためか生理的嫌悪感を出す程でもなく。
舞台の惑星はどこかの山岳地でロケしたのが見え見えであり、ギーガーが作り上げた非日常感は著しく乏しい。
プロトタイプエイリアンによって探索チームが殺されていくところも、非日常的世界観の乏しさからどうも違和感はぬぐえない。
自分の色付けに躍起になった挙句基本がおろそかになった前衛芸術家の描いた絵、というのが本作の評価であろう。

ただ実のところ、個人的にはそれは悪く無かった。
偉大なる先達を何とか超えるために、作家性という自分だけの色を付けていくしかなくなったエイリアンシリーズ。
鑑賞するのはエイリアンのグロテスクでなく、エイリアンシリーズのグロテスク。
私のようなこじらせた人間には、このグロテスクが心地よくもあるのだ。

■評価
B-
[ 2024/01/20 03:13 ] 映画 「は行」 | TB(0) | CM(0)

インデペンデンス・デイ: リサージェンス


インデペンデンス・デイ: リサージェンス

■あらすじ
1996年に地球に襲ってきたエイリアンは、数多の犠牲に果てに人類が力を合わせ撃退した。
これを機にこれまで宗教や種族や思想で分断されていた世界は互いを認め合い、争いのない平和な世界が続いた。
だが20年後、その平和は終わりを告げる。
地球に残されたエイリアンの遺物からSOS信号をキャッチした本隊が、かつて以上の苛烈な侵攻を開始したのだ。

■感想
これはすごい映画である。
ここまでどうしようもない映画を見たのは本当に久々だ。

前作のID4は、マッチョ嗜好のアメリカ人をとにかくわかりやすいスカッとする話と映像で喜ばせてやろうという気合があった。
みんなをとにかくびっくりさせてやろうという、ローランドエメリッヒ監督のサービス精神がふんだんに出ていた。

しかし今回の映画には何もない。本当に何もない。
特撮はゲームのムービーレベルのCG。ドラマも起伏も無く淡々と進むストーリー。
顔も演技も全く魅力がない新キャラクターと新俳優。
ハリウッドと言えば多様性だから色々な人種を入れてみました。
スポンサーも大事なのでヒロインの一人は中国人にし、中国産の牛乳もしっかりアピールしました。
LGBTもとても大事だからとってつけたような老人同士の恋愛も入れてみました。
最後星間飛行の技術を手に入れたことでエイリアン本拠に殴り込む続編の可能性も入れてみました。

とにかくすべての部分が「それって要る?」「そのエピソードで誰が得するの?」のオンパレード。
ここまで大人の事情臭激しい映画は本当に稀有だ。
多分この映画の中で一番やる気が無かったのはエメリッヒ監督なんじゃないだろうか。

久々にぶっちぎりのC判定だが、お金はそれなりにかけて経済もそれなり回したと思われるのでそこだけは評価する。
内容面に関しては殺人蜂に並ぶくらい拾う所は無い。

■評価
C
[ 2024/01/16 08:12 ] 映画 「あ行」 | TB(0) | CM(0)

隣人13号


隣人13号

■あらすじ
いじめられっ子だった村崎十三は、その凄惨な記憶から自分の中にもう一人の人格「13号」を作り出していた。
十三が13号になる時、人間を超えた怪力を出す代わりに見境が無くなり簡単に人を殺してしまう。
全ては小学生時代に十三をいじめ尽くした赤井トールに復讐するためだった。

■感想
和製映画特有のチープさはあるが、陰影のついた絵とともに中々印象深い映画であった。
俳優のキャスティングや演技にも文句なく、エンターテイメントとして普通に楽しめるであろう。

ラストの解釈では、こちらは色々分かれているようだ。
最後小学生時代の十三とトールが仲良くなって一緒に中学へ登校するシーン。あれは現実なのか妄想なのか。
どちらでも取られるように構成されているが、自分の解釈では大人になった十三とトールの話こそ妄想だと思う。

小学生時代にいじめられ、いじめられっぱなしだった十三。
もしもその鬱屈した心のまま長じたら起こったであろう未来が本編。
現実の十三はいじめに打ち勝ち、トールと仲良く中学へ登校するに至る。
取り壊されたアパートから手向けのVサインを送るのは、鬱屈していた十三が作りだしたヒーロー13号だった。

つまり小学生時代に顔にかけられた硫酸は間一髪で避けたか、あるいは跡に残らなかったのか。
そして卒業の日に自分の机の上に花が置かれるという、トールによって行われた悪意のあるいたずら。
これに対し十三はただ泣くのでなく、13号という妄想による復讐で満足するのでもなく、自分の力でトールに対し反撃した。
それによって、彼は妄想に閉じこもる鬱屈した将来から解放された。

大人になったトールから受けた謝罪と「やりすぎだろ」と言う言葉。
それが十三にあまりに刺さったのは、妄想による復讐の危うさに気付かされたということなのだ。

…と解釈している。

原作の漫画では、十三の本当の顔の醜悪さは硫酸によるものでなく、13号と言う怪物に憑りつかれた自分自身だった。
つまり原作・映画共に、妄想に逃げ込むことは危ういと警告し、自分だけの力で道を切り開くべきとしている。
実は映画も漫画も、作風からは真逆の、極めて前向きで道徳的な話なのだ。

なのでこんな陰鬱な映像でも(漫画の方は漫画の方で歪みまくったデッサンも)、観た後の気分は実にスッキリ爽やか。
誠に不思議な映画であった。

一歩間違えれば駄作になってた気もするが、ギリギリの線で保っているところが実に楽しめた。

■評価
B
[ 2023/08/11 20:35 ] 映画 「ら行」 | TB(0) | CM(0)

カメラを止めるな!


カメラを止めるな!

■あらすじ
ゾンビものの映画を撮っていたキャラバンに本物のゾンビが襲いかかる!
阿鼻叫喚の末、惨劇は終わりを迎えスタッフロール。
物語はここから始まる。

■感想
「ラヂオの時間の映画版」の一言だった。

最初のゾンビモノ映画ではやたら冗長なところがあるのだが、そのオチはスタッフロール後のメイキングで語られる。
「ははぁ、そこはそうだったのか!」と膝に手を打って笑うか、「だから?」と冷めるか。
私は結構映画には没頭する性質だが、なぜかこの映画の場合後者だった。
あからさまにコメディ路線にしようというのが強すぎたのだろうか。

メイキングパートでは父と娘の葛藤が描かれる。
映画監督を目指す娘は世間知らずかつ本物志向故にトラブルがある。
一方父は一向に目が出ない売れない映画監督。
世間を知り過ぎ、作品より商品、品質より納期を優先するごく普通のさえない映画監督。
現実を知っている者と夢しか見えていない者との心は描けているのだが、その伝え方がすこしあざとすぎると言うか。

父親はその中には熱いものをもっており、だからこそ俳優兼監督になったときのセリフも熱い。
トラブルだらけで撮影を断念しようとする中で、娘が無理やり引っ張るところも熱い。
けれどイマイチ乗れない。「ああうん、ここは笑うところね、熱くなるところね」と。
母親もスイッチ入るとヤバイ女優、という設定はおもしろいのだが、「それで?」というか。

色々なキャラを出し過ぎて一人一人の掘り下げが足らず、感情移入できなきかった…と見るべきか。
主人公の監督の演技力は高いのだが、それ以外は薄いというか。

とにかく全体的に薄い、という印象が非常に強い映画だった。
「ラヂオの時間」を知らなければ、もう少し楽しめた…のだろうか?
大ヒットという売り文句にこちらも構えてしまったかもしれない。

■評価
B-
[ 2019/12/01 22:35 ] 映画 「か行」 | TB(0) | CM(0)

万引き家族


万引き家族

■あらすじ
ビルの谷間にひっそりと建つ平屋の一軒家に、祖母の年金目当てに暮す4人の家族が居た。
彼らは口げんかは絶えずとも仲良く暮らしていたが、一つ世間と違うところがあった。
彼らは年金と各々の職以外に、万引きで生計を立てていたのだ。
そんな彼らはとある家で児童虐待に会っていた少女を保護するが…

■感想
ブラック版三丁目の夕日と言うべきか。
失われた30年で珍しくもない貧困家族。そんな家族も明るく生きています。ただし万引きをして。
この辺りのブラックなジャパンの描き方は、いかにも海外受けしそうだなと思った。

登場人物についても明らかにされなかった謎が多い。
なぜ母親は別れた夫から執拗に慰謝料を貰い続けていたのか。
その別れた夫と後妻の間に生まれた子供をなぜこの万引き家族は引き取っていたのか。
この辺りに明確な回答は無い。

ラストでは、この家族の全員が血が繋がっていないことが明らかになり、あれほど仲の良かった家族が崩壊していく。
主人公の男は、血の繋がっていない息子から「おとうさん」と呼ばれたがっていたが、それ以上コマを進めることもなかった。
お互いの距離がある程度開いていればこそ上手くいき、相手の領域に入り込もうとした結果崩壊した。
薄い関係だからこそ上手く行く、それ以上はご法度というのも、今の日本を描いていると言えばそうである。

この話は全体的に、行間を読んで今の日本を感じて欲しい、という全体的に漂うもやもや感に支配されている。
実にフランス人が好きそうな映画に仕上がっている。

しかしこの映画はアメリカの映画祭では何の賞も取らなかった。
アメリカ人としては、そしておそらくはある程度の日本人としても、「今の日本はこうですよ」だけでなく、「だからどうしたの?」と言う所まで描いて欲しかったのではないか。

もやっとした、じめっとした本作の終わり方は個人的には嫌いではない。
たまにはこんな映画があっても良いだろうなと思う。
けれどこれが大ヒット映画と言われるとちょっと首をかしげてしまう。
著名な映画賞の凄み…なのだろうか。

■評価
B+
[ 2019/07/25 07:43 ] 映画 「ま行」 | TB(0) | CM(0)